澄み渡った夜空に丸い月が浮かんでいる。白く輝く光に照らされて、夜道は青く染まっていた。
秋の十五夜の月が見下ろす村の中に、小さな人影がいくつも見えた。いつもならば寝静まっていておかしくない子供たちが、息を潜めながら往来を行き来している。
あちらこちらで集まっては、押し殺せない笑いをこぼし、互いをつつきあう。その誰もが腰に大きな袋を下げ、手には長い竹竿のような棒を持っていた。
「おい、梅ばあのところいったか? 白餅だったぞ!」
「佐吉んとこはきびだんごだけど、中にあんこが入ってた!」
声を潜めて情報交換を行う子供たちの声は、どれも皆楽しそうに弾んでいる。
彼らの目的は、秋十五夜の晩に供えられるお供えもののお団子だ。この日だけは、月見団子を盗んだとしても怒られることはない。すべて承知の上で大人たちは、お月様が盗んでいったと喜ぶのだ。
子供たちは本物の泥棒よろしく、竹竿を使って生垣や戸口の隙間からそっと盗んでいく。
竿の先端を鉤針のように細工したり、竿が重みで折れてしまわないように補強したりと準備に余念がないのも、子供たちにとっては収穫祭についでの楽しみな行事だからだ。
夜が更けてしばらくたったこともあって、子供たちが腰に下げた袋はある程度の膨らみを持っている。
「なあ、鬼爺んとこ行ったか?」
「行った。けどダメだ。籠に入れて柿の木につるしてあるんだ。届かないよ」
「お月さんが取りやすいように高いところに置こうか、ってさ。どうする、肩車したら取れるかもしれないよ」
「また面倒なことしやがって……」
子供たちは頭をつきあわせ、うなった。
彼らが鬼爺と呼ぶのは、村はずれに住む村木という浪人だった。どこかの藩の剣術指南役を勤めていたという噂もある、壮年の男だ。
どういう経緯で村に流れてきたのかは分からないが、裏山に生えた竹を細工物にして生計をたてているらしい。彫り物の腕も一級品だと聞く。妻子がなくともきちんとした生活を営んでいる様子を、村の大人たちは立派なお武家様だと評していた。
そして、子供たちにとっては、読み書きややっとうのまねごとを教えてくれる先生でもある。
だが、その教え方がすこぶる怖い。家の手伝いで顔を出さないときには何も言わないくせに、遊びにかまけてさぼった時には、鬼のように怒るのだ。一線を退いたとはいえ、剣術の心得のある大の大人が怒るのだから、怖いことこの上ない。
村木自身は間違っても年寄り呼ばわりされる年齢ではないが、子供たちは彼を鬼爺と恐れ混じりに呼んでいる。爺というのは、縁側に座って竹細工を編む姿に由来していた。
その村木も、村人たちの風習にならって毎年月見団子を供えている。
「今年は、きなこもまぶしてあるって言ってた!」
子供たちの小さな喉が、一斉に鳴った。
意地悪な男だが、彼の作る団子は他のどの家のものより味が良かった。高価な砂糖を使っているとも、町からもち米を取り寄せているとも言われている。
子供たちが取っていくのが分かっているのだから、かなり太っ腹である。
ほんのちょっと背伸びすれば取れそうな位置に置いてある籠を、子供たちはいまだ奪えたためしがなかた。ある程度の時間をおいて、村木はさっさと籠を低い位置に移してしまう。お月さんには高すぎたかなどと嘯きながら。
けれど、彼の家は手入れされた背の高い生垣で囲まれていて容易には入り込めない。その上簡単に盗めてはおもしろくなかろうと、竹竿の届きにくい石灯籠の上や庭木の上にばかりつるされているのだ。
とれるものなら取ってみろという村木の声が聞こえてきそうな、あからさまな挑戦状だ。
挑戦を受けたからには、受けて立つのが子供の礼儀というものだった。
「絶対とりたいよな」
「うん、あいつの悔しがる顔がみたいよな」
「もう一回、様子見に行こうぜ!」
子供たちは頷きあい、一斉に駆けだした。
越してきて以来手間暇をかけて整えられた村木家の生垣の隙間に息を潜め、子供たちは深くため息をついた。
「ちくしょう、高いよ」
「鬼爺のやつ、分かって楽しんでるよな。あいつがいなくなったら、肩車しようぜ」
こそこそとささやき合う子供たちの頭上の枝では、餅が山盛り入った籠が重く揺れている。
庭に入って木に登れば、なんのことはなく取れる高さだ。背丈を上回る生垣越しにでも、肩車と竹竿を使えばなんとかなるという、絶妙な位置である。
けれど、今はまずい。相手がみていない隙に、まんまと盗んで鼻をあかしてやれなければ気が済まない。それがお月見泥棒の意地の見せ所だ。
「さっさと引っ込め!」
子供たちは、縁側に腰を下ろしキセルをふかしながら月見と洒落込む村木を小声でののしった。
時折生垣に視線を投げる仕草から、子供たちの存在には先刻気づいているようだ。
「なあ、長い竿ならこのまま届くかな」
「俺ので届かなかったからムリだよ」
「繋いじゃったらどうかな」
「バカ、あの籠は重いんだぞ。途中で折れちゃうよ」
「やっぱり肩車だって、肩車」
村木がふと立ち上がった。何気ない手つきで煙草盆を取り上げて、室内へと戻っていく。
「今だ! 佐吉、肩かせ! 藤太、おまえの竿もだ」
一番体格の言い子供が、小柄な少年をかつぎ上げた。長い竹竿が手から手へと渡る。
他の子が固唾を飲んで見守る中、佐吉は一歩一歩慎重に生垣へ近づいていく。
肩の上にのる伸助の身体が、ぐらぐら揺れた。
「ばか、揺らすな!」
大波のように揺られては、手を離して竿を操ることも出来はしない。
佐吉は、うんうん唸りながら生垣までたどり着くと、そこでどっしりと足を踏ん張った。
伸助は片手を伸ばして竿を振った。届かない。二度、三度とやってみても、竿の先は籠のかかった枝の端にも届かなかった。
「佐吉いいか、絶対動くなよ」
踏み台となった友人に命じた伸助は、恐る恐る両手を離し、不安定な肩の上で背を伸ばした。
佐吉が慌ててその両膝を押さえる。
籠の取っ手に、先端が触れた。あと一息。伸助がぐいと腕をのばす。自然、身体は前方に傾いだ。
「うわ、うわあ」
情けない悲鳴を上げ、佐吉がふらついた。もろとも生垣につっこむ恐怖に、反射的に身体がのけぞる。
「あ、動くなバカ!」
伸助の制止は遅かった。
土台が動けば、その上はさらに大揺れだ。引き戻されるように伸助の身体も後ろへと倒れかかる。
もう少しで掴めた籠から、竿先はあっさり離れ散った。
その間にも、二人の身体は仰向けに倒れていく。佐吉は歯を食いしばって、今度は思い切り前へと身体を曲げた。頭上の友人を落としてはいけないという気持ちから、支えた膝はひしと離さないままに。
伸助の方はたまったものではない。放り出されるように前につんのめった身体を起こそうとするが、膝を押さえられては、それも巧くいきようがなかった。
「離せ、放せってば!」
お互いの動きがお互いを制する中、佐吉は酔っぱらいの千鳥足のようにふらふら歩いたあと、尻餅をつくように後ろに倒れ込んだ。
「痛ってえな、このバカ佐吉!」
投げ出された伸助が、容赦なく佐吉の肩を蹴りとばした。
「でも、これじゃ取れないね」
籠を見上げた女の子が、悲しそうにぽつりと呟く。
「くそぅ、今年も俺たちの負けかよ!」
肩を落としてささやき合う子供たちの頭上に、ふと陰がさした。
「あ、お月様隠れちゃった」
空を仰げば、雲が一片、月を覆っていた。
「ねえ」
「あそこのお団子、美味しいの?」
突然の声に、子供たちは飛び上がった。いつからいたのか、白いきれいな着物を着た少年が二人、首を傾げて立っている。
兄弟だろうか、小さい方の男の子は大きい少年の袖を掴み、半分身体の後ろに隠れている。小さい手には団子の入った竹籠が握られている。
「お前ら、お寺さんとこに着た子か?」
ガキ大将の意地で素早く驚きを隠し込んだ伸助が訪ねる。隣村の大きな寺では、身よりのない子供を引き取ることがよくあったからだ。
お月見の晩に、ちょっと遠出をしてきたのかもしれない。
大きい少年は、首を傾げたまま笑った。
「ね、僕たちなら取れるかもしれないよ、あの籠」
「そのほっそい竿で? あの籠は重いんだぞ。折れちまう。それにお前たちじゃ肩車しても届かないぜ」
兄の手には、細い細い竿が握られている。長さはほかのどれよりも長いけれど、籠の重さには到底耐えられそうに見えなかった。
「大丈夫。もし取れたら、僕たちもお団子もらっていい?」
村の子供たちは、顔を見合わせた。
「僕たち、ここの子じゃないから。勝手に取ったら困らない?」
村の子供に遠慮を見せるのが気に入り、伸助は立ち上がって場所を譲った。
「取ったらお前のもんだ。分け前くれって頭下げるのは、こっちの方だ」
「高いから、気をつけてね」
「危ねえのはお前だよ、佐吉! ホントに痛かったんだからな!」
「ごめんってば」
兄の袖に隠れた小さな弟は、そんなやりとりに初めて小さな笑みを見せた。
「籠は持っててくれる? ほら、行くよ」
生垣の前で膝を折った兄の背に、弟が身のこなしも軽く飛び乗る。兄は羽でも背負ったかのように苦もなく立ち上がった。
弟はあっという間に肩にはい上がり、兄の頭を支えにしてすっくと立ち上がった。大人の背丈を越える高さを怖がる風もなく、細い竿をするする伸ばしていく。
兄は、弟の足を支えたままびくとも動かない。
子供たちの期待を受けた竿は、重い籠にしっかりと引っかかった。
弟は両腕を動かした。竹は大きくしなりながらも、籠を取り落とすことなく持ちこたえた。
無事に引き下ろされた籠に、息を飲んで見守っていた子供たちが一斉に歓声をあげる。
「ダメだ、取った二人が先だ!」
我先伸びる手を、伸助が制す。
「3個くらい持って行け。俺らじゃ取れなかったからな」
それは、籠の中身が子供たちの人数を上回っていることを確認した上での言葉だったが、少年たちはにこりと笑った。
「ありがとう、遠慮なく貰っていくよ」
まず兄弟たちの手に3つずつ収まった後は、次から次へと伸ばされる手に、籠はすぐに空になった。
「なんだ、今年の泥棒は少しはやるんだな」
口々に頬ばっているところへ声がかかったのだからたまらない。ぎょっと身をすくめたうちの幾人かは、団子を飲み込みそこねて目を白黒させた。
「あれが取れるとは思わなかったぞ」
生垣の上から、かたちばかりは不機嫌そうな村木の顔がのぞいている。
「はい、頑張った甲斐がありました。とっても美味しいです」
「僕、甘いお団子好き!」
逃げるべきか悪態をつくべきかと考え込む村の子たちをよそに、兄弟はまったく物怖じせず笑顔を向ける。
「なんだ、お前たち見かけない顔だな。隣村の寺に来たばかりか? 気に入ったなら、来年も取りに来い。ただし、簡単には盗ませてやらないからな
「うん、絶対くるよ! お団子美味しいから!」
「本当に、こんな美味しいお団子は初めて食べました。どうやって作っているんですか?」
「そっちは秘密だ。頼まれたって教えてやるもんか」
村木は、まんざらでもなさそうに笑った。それから、逃げ腰で様子を伺う子供たちに向けて、怖い顔を作る。
「さあガキども。喰い終わったらそろそろ帰れ。寝坊して明日の読み書きに遅れたら、ただじゃおかんぞ!」
子供たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
「さ、お前たちもそろそろ帰りなさい。あまり遅くなると、ご住職が心配するだろう。夜道が暗いなら提灯を貸すぞ」
「大丈夫です。今日は満月ですから。ありがとうございました」
「おじさん、ごちそう様でした」
兄弟は行儀よく頭を下げた。
ちょうどその時雲が晴れ、青い月光がさあっと村を駆け抜けていった。
家へと向かって走りかけていた伸助は、ふっと村木の家を振り返った。置いてきた形になった兄弟が気にかかったのだ。
けれど、振り向いた先に二人はいなかった。寺へと向かう道に視線を向けても、見える範囲にそれらしい人影はない。
慌てて駆け戻った伸助は、呆然と呟く村木の声をきいた。
「あいつら、月のうさぎだったのか……」
不利仰いだ空に、まあるい月が浮かんでいる。
その中には、餅つきうさぎの影があった。